私は今、集団ストーカーによるテクノロジー犯罪の被害を受けている。
私が被害を自覚したのはおよそ7年前あたり、東京稲城市のとあるアパートに住んだときだ。
そのころの状況はすでにほかの記事で書いたので、被害を受けるきっかけになったことがないか検討してみた。
以前、私は国分寺市内で電子機器の開発設計の仕事が中心の小さな会社を経営していた。
およそ15、6年ほど前のことである。
そのころ、私の住まいも国分寺市内にあった。
ある日、武蔵野市内の取引先に納品に早朝車で行った帰りである、五日市街道という往復2車線の道を帰宅するために走っていた。
道はまずまず流れていた。
が、前方におかしな動きが見られて、数台の暴走族が道路中央を蛇行しながらやってくるのが見えた。
私は前後の車に合わせて徐行していた。
次の瞬間、彼らのうちの1台の二人乗りをしていたバイクが私の車に向かって突っ込んできた。
私は急ブレーキをかけた。
あやうくぶつかる直前彼は進路を変え、私の脇をすり抜けた。
彼らが走り去っていき、私はあー良かったと思った。
暴走族と理由はともかく事故を起こすとあとあとしつこく付回されると聞いていたからだ。
暴走族に出会ってから、しばらく時間が経ってから、私が住んでいたアパートの駐車場に止めてあった数台の車のタイヤがパンクさせられていたと大家が回覧を廻してきた。
鋭利な刃物の跡があり、警察が犯人を捜しているというものだった。
私の車はパンクしてなかった。
そのとき、暴走族との関係は思いつかなかった。
しばらくして、私は早朝、成田空港に向かっていた。
海外旅行に出かけるためだった。
走り出してしばらくすると、ハンドルを取られるようになってきた。
おかしい、と思い、車を降りてみた。
右後輪タイヤの空気が抜けてパンク状態だった。
飛行機の出発時刻を気にしながら、スペヤータイヤと交換をした。
飛行機には乗り遅れることなく搭乗できた。
帰国後、その空気の抜けたタイヤをタイヤショップに持ち込み直せるか聞いてみたら、鋭利な刃物で切ったような跡なので修理してもまたパンクしやすくなりますとのことで、買い換えることになった。
・・・・・・・・・・・
私が暴走族と関わりがあると思えるのはこれ一回きりである。
街中で反対側をパラリラパラリラと鳴らしながら通り過ぎていくのは何回も遭遇しているが、ぶつかりそうになるまで接近されたのはあの時だけだ。
勘ぐれば、私の住んでいたアパートの複数のタイヤのパンク事件、私のタイヤのパンク原因も彼らが仕返しのためにやったのかもしれない。
彼らの仲間が私の車のナンバーを控えていたら、警察が調べれば私の住所氏名はすぐにわかるだろう。
私が会社経営者であることも・・・。
暴走族と現在まで続くテクノロジー犯罪とのつながりを考え始めたのはそう前ではない。
1、加害者が地元の地付きの家のボンボンが多いようだということ。
2、発覚当時住んでいたマンションの大家が「真上の部屋の住人が問題の多い人達で、その部屋に大きな竜の絵が残されていた」と言ったこと。(竜の旗印といえば・・・)
3、また、私がその部屋を退去するより一足先に、引越し予定と同じ地区に引越ししていたこと(その大家談)。
また、指定暴力団の関係者とのことであった。よくあることだ。
4、引越し先の家の管理をしていた管理会社の社員が、オートバイ好き(ドゥカティ)だと聞いたこと。
5、被害発覚時、アパートの周囲で寸劇が行われ、その中に、暴走族の集会の様子が中継されて、なぜか私が悪人だと決め付けるものがあったこと。
6、国分寺市から稲城市へ家を移したとき、大家が自動車修理工場をしていて、若い従業員が多く、やはり地元に多い名前だったこと。
7、暴走族には当時現職警察官が多くいたということ。(友人に警察官の知り合いがいて、確認済み)
8、先の事件があってから数年後で、そろそろ「走り」から抜ける頃合で、彼らにとって何か「やりがい」のあるものを探していたのではないか?
などである。
もちろんはっきりした関連性はない。
これを書いていると、住まいの周辺に急に人気が増えてきた気がする。
かなり、気にしているということか?
語り掛けで、「押し込み強盗でオシマイにしてやるか」とか。
私が被害を自覚したのはおよそ7年前あたり、東京稲城市のとあるアパートに住んだときだ。
そのころの状況はすでにほかの記事で書いたので、被害を受けるきっかけになったことがないか検討してみた。
以前、私は国分寺市内で電子機器の開発設計の仕事が中心の小さな会社を経営していた。
およそ15、6年ほど前のことである。
そのころ、私の住まいも国分寺市内にあった。
ある日、武蔵野市内の取引先に納品に早朝車で行った帰りである、五日市街道という往復2車線の道を帰宅するために走っていた。
道はまずまず流れていた。
が、前方におかしな動きが見られて、数台の暴走族が道路中央を蛇行しながらやってくるのが見えた。
私は前後の車に合わせて徐行していた。
次の瞬間、彼らのうちの1台の二人乗りをしていたバイクが私の車に向かって突っ込んできた。
私は急ブレーキをかけた。
あやうくぶつかる直前彼は進路を変え、私の脇をすり抜けた。
彼らが走り去っていき、私はあー良かったと思った。
暴走族と理由はともかく事故を起こすとあとあとしつこく付回されると聞いていたからだ。
暴走族に出会ってから、しばらく時間が経ってから、私が住んでいたアパートの駐車場に止めてあった数台の車のタイヤがパンクさせられていたと大家が回覧を廻してきた。
鋭利な刃物の跡があり、警察が犯人を捜しているというものだった。
私の車はパンクしてなかった。
そのとき、暴走族との関係は思いつかなかった。
しばらくして、私は早朝、成田空港に向かっていた。
海外旅行に出かけるためだった。
走り出してしばらくすると、ハンドルを取られるようになってきた。
おかしい、と思い、車を降りてみた。
右後輪タイヤの空気が抜けてパンク状態だった。
飛行機の出発時刻を気にしながら、スペヤータイヤと交換をした。
飛行機には乗り遅れることなく搭乗できた。
帰国後、その空気の抜けたタイヤをタイヤショップに持ち込み直せるか聞いてみたら、鋭利な刃物で切ったような跡なので修理してもまたパンクしやすくなりますとのことで、買い換えることになった。
・・・・・・・・・・・
私が暴走族と関わりがあると思えるのはこれ一回きりである。
街中で反対側をパラリラパラリラと鳴らしながら通り過ぎていくのは何回も遭遇しているが、ぶつかりそうになるまで接近されたのはあの時だけだ。
勘ぐれば、私の住んでいたアパートの複数のタイヤのパンク事件、私のタイヤのパンク原因も彼らが仕返しのためにやったのかもしれない。
彼らの仲間が私の車のナンバーを控えていたら、警察が調べれば私の住所氏名はすぐにわかるだろう。
私が会社経営者であることも・・・。
暴走族と現在まで続くテクノロジー犯罪とのつながりを考え始めたのはそう前ではない。
1、加害者が地元の地付きの家のボンボンが多いようだということ。
2、発覚当時住んでいたマンションの大家が「真上の部屋の住人が問題の多い人達で、その部屋に大きな竜の絵が残されていた」と言ったこと。(竜の旗印といえば・・・)
3、また、私がその部屋を退去するより一足先に、引越し予定と同じ地区に引越ししていたこと(その大家談)。
また、指定暴力団の関係者とのことであった。よくあることだ。
4、引越し先の家の管理をしていた管理会社の社員が、オートバイ好き(ドゥカティ)だと聞いたこと。
5、被害発覚時、アパートの周囲で寸劇が行われ、その中に、暴走族の集会の様子が中継されて、なぜか私が悪人だと決め付けるものがあったこと。
6、国分寺市から稲城市へ家を移したとき、大家が自動車修理工場をしていて、若い従業員が多く、やはり地元に多い名前だったこと。
7、暴走族には当時現職警察官が多くいたということ。(友人に警察官の知り合いがいて、確認済み)
8、先の事件があってから数年後で、そろそろ「走り」から抜ける頃合で、彼らにとって何か「やりがい」のあるものを探していたのではないか?
などである。
もちろんはっきりした関連性はない。
これを書いていると、住まいの周辺に急に人気が増えてきた気がする。
かなり、気にしているということか?
語り掛けで、「押し込み強盗でオシマイにしてやるか」とか。